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信越線[支線]→北陸本線 郷津駅


<主な変遷>  
1911(明44)年7月 信越線[支線]直江津-名立間開通、郷津駅開設
1913(大2)年4月 信越線[支線]→北陸本線
1966(昭44)年10月 郷津駅廃止

1911 (明44) 年 10月


<基本情報>
 貨物営業   あり
 保安方式   未確認
 電気運転設備 非電化
  •  直江津-名立間開通直後の図になります。当初は直江津から延びる信越線の支線の駅でした。
  •  旅客ホームは1面ですが、貨物ホームと側線を備えてそこそこの規模となっています。北陸本線が全通した1913(大2)年4月1日改正の列車ダイヤでは郷津駅で行違いをする列車が設定されているので旅客ホーム1面の時代は短かったかもしれません。

1912 (明45) 年 3月

 
  •  上の図とほぼ同時期のものですが、上の図は運転課、こちらは工務課が調製した図で日本海の迫る構内の様子が表現されています。
  •  図中のアルファベットの記号は次のとおりです。  A:停車場本屋 B:貨物上家 b:ランプ小屋 c:便所 d:物置

昭和戦前 -1937(昭12)年頃と推定-

<基本情報の変更>
 閉そく方式  通票閉塞器式
  •  北陸本線全通後の図で、明治期の図とは向きが逆になっています(米原方が左)。
  •  対向式ホームの行違い可能な配線に改められた上、大型機関車が転向可能な19.3mの転車台が設置されています。
  •  機関区もある一大拠点・直江津駅の隣りに位置する郷津駅に転車台が設けられた理由が謎です。当時の列車ダイヤを見ても郷津始発・終着の列車はなく、大きさからして排雪列車用でもなさそうです。直江津駅が何らかの理由で機能不全になった場合に備えてここで米原方に折り返せるようにしたのでしょうか?
  •  転車台に通じる線路は黄色く塗られ、下り本線との接続部分の近くに赤文字で「65」と追記されています。また、「65」の右には最初から書かれていた黒文字で「転115」とあり、元は115mあったこの線路を65m残して撤去したことを意味するものと推定します。

 1947 (昭22) 年 3月

  •  転車台が廃止され、そこに通じていた線路が安全側線のような形で描かれていますが、1949(昭24)年の図のようにある程度の長さがあったものと思います。65mあったとすると下り1番線に車両を出入りさせる際の引上線として機能していたのかもしれません。

 1949 (昭24) 年 6月

 

1953 (昭28) 年 3月

  •  転車台へ通じていた線路はカットされて一般的な安全側線になったようです。

Memo

Ⅰ 転車台があった場所

 国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」の空中写真で転車台の跡を確認してみます。
 一番古い写真は1946(昭21)年撮影のもので駅の東方に円形の窪みが確認でき、配線略図の位置関係とも一致するのでこれが転車台の跡とみて間違いないでしょう。こんなに海に近いロケーションの転車台も珍しいかと思います。
 下り本線の分岐から転車台までは100m程でしたが、本屋からは300mぐらいありそうです。結構距離があるのは、ほかに適当な土地がなかったからでしょう。


【出典】国土地理院webサイト「地図・空中写真閲覧サービス」https://service.gsi.go.jp/map-photos/
 整理番号:USA コース番号:M283-A-7 写真番号:115 撮影年月日:1946(昭21)/10/10

 続いて1949(昭24)年の写真です。かなり鮮明に転車台跡が見て取れます。
 
【出典】国土地理院webサイト「地図・空中写真閲覧サービス」https://service.gsi.go.jp/map-photos/
 整理番号:USAwide コース番号:R555 写真番号:55 撮影年月日:1949(昭24)/02/02
 1962(昭37)年になると転車台があったことが分からないくらい自然に還っています。
 
【出典】国土地理院webサイト「地図・空中写真閲覧サービス」https://service.gsi.go.jp/map-photos/
 整理番号:MCB624X コース番号:C7 写真番号:12 撮影年月日:1962(昭37)/05/06

 最後は線路移設によって郷津駅が廃止になった6年後、1975(昭50)年の様子です。転車台跡周辺の道路が改良され、交差点ができたことによってだいぶ様相が変わりました。写真を見る限り転車台の痕跡は認められなくなりました。

 
出典】国土地理院webサイト「地図・空中写真閲覧サービス」https://service.gsi.go.jp/map-photos/
 整理番号:CCB7512 コース番号:C13 写真番号:10 撮影年月日:1975(昭50)/09/24

Ⅱ 転車台が設置されていた期間の考察

 下に示すのは1929(昭4)年11月に調製された名古屋鉄道局「線路一覧略図」の図面です。直江津駅の所に付けられている斜線2本が入った丸印が転車台の記号で、その下の「上18」は上路式18mの転車台であることを表しています(直江津駅には転車台を2台設置)。一方、郷津駅にはこの記号が付いていないので1929年11月頃にはまだ転車台が無かったことが分かります。

 
 また、この「線路一覧略図」を使って北陸本線全区間における転車台の設置状況を整理したものが表1で、線内12か所に転車台がありました(米原駅は東海道本線、直江津駅は信越本線の駅になるので、表には反映していません)。郷津駅の19.3mの転車台は敦賀駅、富山駅に次いで大きなものであったことも分かります。

   表1 1929(昭4)年当時の北陸本線各駅の転車台
   

 次に、《鉄道統計》の「土地及建造物数量表」(1934(昭9)年度以前)・「停車場建造物数量表」(1935(昭10)年度以降)により、各年度末における北陸本線内の機関車用転車台の設置箇所数を整理してみます(表2)。なお、北陸本線は元々全区間が名古屋鉄道局の所管でしたが、新潟鉄道局新設から7か月後の1937(昭12)年4月1日に泊(局界)-直江津間が同局に移管されましたので、1937年度以降は鉄道局ごとに数を整理しています。

   表2 北陸本線各駅の転車台数の推移
   

 新潟鉄道局への一部区間移管後に着目すると、同局内での設置箇所数は1937年度末時点で2であり、これは当時の配線略図と照らし合わせて糸魚川駅と郷津駅の転車台であることは明白です。これが1940年度には1に減っているので、郷津駅の転車台は同年度中に廃止され、上に示した配線略図はこの際に手書きで修正が加えられたものと考えます。
 一方、名古屋鉄道局についてみると1928年度末時点は表1と一致する12か所で、翌年度に1か所増えて13か所となり、新潟鉄道局への一部区間移管まで変化はありません。また、1937年度末時点の両局の合計も同数であることからすると、この13か所には表1の12か所と郷津駅の分が含まれていると捉えてよさそうです。
 以上、「線路一覧略図」と統計の推移を合わせて考えると、郷津駅には1929(昭4)年度下期に転車台が新設され、1940(昭15)年度に廃止されたと推定しますがいかがでしょうか?