| <主な変遷> | |
| 1925(大14)年4月 | 五日市鉄道 拝島仮停車場-武蔵五日市間開通、増戸駅開設 |
| 1925(大14)年5月 | 増戸駅 → 武蔵増戸駅 |
| 1930(昭5)年 | 病院前停留場開設 |
| 1940(昭15)年10月 | 五日市鉄道 → 南武鉄道 |
| 1944(昭19)年4月 | 南武鉄道国有化 → 五日市線、病院前停留場 → 武蔵引田駅 |
1954 (昭29) 年 3月 |
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| <基本情報> 所 管 東京鉄道管理局 貨 物 営 業 武蔵引田駅:なし、武蔵増戸駅:あり 閉そく方式 票券閉そく式 |
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1962 (昭37) 年 3月 |
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| <基本情報の変更> 貨 物 営 業 武蔵引田駅:なし 閉そく方式 通票閉そく式 電気運転設備 直流 1,500V |
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1965 (昭40) 年 2月 |
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| <基本情報の変更> 閉そく方式 自動閉そく式 |
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1972 (昭47) 年 4月 |
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| <基本情報の変更> 所 管 東京西鉄道管理局 遠隔制御方式 CTC |
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Memo武蔵増戸駅における貨物列車の編成分割 |
| 1 編成分割による列車設定 -大久野発武蔵増戸行の列車の興味- 五日市線には武蔵五日市-大久野間に30‰以上の急こう配があり、下り貨物列車は途中の駅で編成を分割し、列車の重量を軽くして大 久野駅に向かっていました。1961(昭36)年4月に電化されるまではこの編成分割を武蔵五日市駅で行っていましたが電化後は武蔵増戸駅 で行うように変わっています。 下に示すのは同年10月1日改正列車ダイヤの抜粋で、丸で囲った部分に編成分割を伴う特徴的な運転方法がみられます。具体的には [貨] 561レ は武蔵増戸で小休止して (編成を分割して) 大久野に向かった後、機関車は [単] 360レ で武蔵増戸に戻り、今度は [貨] 361 レ をけん引して再び大久野に向かう様子が読み取れます。次の [貨] 563レ → [単] 362レ → [貨] 363レ も同じ流れで、この後の時間 帯にも編成分割による運転が2回行われていました。 ![]() ところで、電化当初、単行機関車だった大久野発武蔵増戸行の列車は、その後貨物列車として運転するように改められています。五日 市線の貨物列車はファンに人気だったED16がけん引していたため雑誌やインターネット上に多くの写真が残されており、この武蔵増戸 行貨物列車を撮影した写真も見掛けますが、その編成はED16に緩急車をつないだだけの短いものでした。状況からして先発列車に連結 されて大久野に着いた緩急車を後発列車にも使用するために回送していたものとみられ、貨物を運んでいたわけではなさそうです。 ちなみに電化当初、単行機関車で運転していたのは当時の五日市線が非自動区間 (通票閉そく式を施行) で車掌省略線区に指定され、 貨物列車に緩急車が連結されていなかったためとみています。恐らく、1965(昭40)年2月の自動信号化の際に車掌省略線区の指定から外 れたために緩急車の連結が必須となり、その影響で単行機関車から貨物列車に変わったものと想像します。 なお、自動信号化後の1965(昭40)年10月1日改正列車ダイヤでは貨物列車による運転だったことを確認しています。 (参考1)車掌省略線区の解説 以下のファイルは、伊多波美智雄 (本社運転局保安課補佐) 『運転取扱基準規程逐条解説』1965年3月.日本鉄道図書.91頁~94頁の抜粋 になります。「運転取扱基準規程」が制定された1964(昭39)年12月までの車掌省略線区に係る規定の変遷等が詳述されていますので 参考にしてください。 「運転取扱基準規程」第26条 (車掌の乗務を省略する線区) 解説 (参考2)1962(昭37)年1月当時の車掌省略線区の関係規定 大久野発武蔵増戸行の列車が単行機関車で運転されていた当時は (参考1) で示した「運転取扱基準規程」の制定前で、当時の本社 規程は「運転取扱心得」でした。以下では1962(昭37)年1月現在の「運転取扱心得」における車掌省略線区に係る規定をお示しします (対象区間が列挙されている第2条別表は省略) 。 ![]() 併せて、東京鉄道管理局制定「運転取扱心得細則」における車掌省略線区に係る規定も掲載します。余談ですが、青梅線では小作- 氷川が指定されていますが、当時の青梅線は立川-小作間が自動閉そく式、小作-氷川間が通票閉そく式でした。 ![]() 2 武蔵増戸駅における着発線の変化 貨物列車への緩急車連結に関係して、武蔵増戸駅における着発線指定は以下に示すように変化しています。なお、大久野発武蔵増戸行 の列車はいずれの時点でも特に着発線の指定はないので上り列車の主本線である上り本線到着です。 ![]() 1968年10月1日時点では拝島方-大久野間の下り列車の到着線と出発線が異なり、上り1番線に到着して編成を分割した後、上り本線 に転線して大久野に出発する点が特徴的です。最後部の緩急車を含んだ拝島寄りの貨車を先発列車に充てる都合上、こうせざるを得ない と思うのですが、各時点における編成分割に関係する流れを詳しく整理してみると緩急車の連結によって作業がだいぶ複雑になったこと がうかがえます。 ※ 構内作業ダイヤ等で作業の詳細を確認したわけではなく、推定によるものです。 ※ 編成分割における大久野寄りの貨車群を「貨車A」、拝島寄りの緩急車を除く貨車群を「貨車B」と表現しています。 ※ 「機関車+貨車A+貨車B」といった列車編成の表現は下り・上りの方向を問わず、左を大久野方として記載しています。 (1) 1961年10月1日改正時点 ① 機関車+貨車A+貨車Bが拝島方から上り1番線に到着、貨車Aと貨車Bに分割 ② 機関車+貨車Aが上り1番線から大久野駅に向けて出発、貨車Bは上り1番線に残置 ③ 大久野駅から戻ってきた機関車が上り本線に到着 ④ 機関車を大久野方に引上げ、転線して上り1番線の貨車Bに連結 ⑤ 機関車+貨車Bが上り1番線から大久野駅に向けて出発 (2) 1968年10月1日改正時点 ① 機関車+貨車A+貨車B+緩急車が拝島方から上り1番線に到着、貨車Aと貨車B+緩急車に分割 ② 機関車を大久野方に引上げた後、上り本線 (又は下り本線?) 経由で拝島方に引上げ、転線して上り1番線の貨車B+緩急車に連結 ③ 貨車B+緩急車+機関車の編成で拝島方に引上げ、推進で上り本線に据付け ④ 機関車を拝島方に引上げ、下り本線経由で大久野方に引上げ、転線して上り本線の貨車B+緩急車に連結 ⑤ 機関車+貨車B+緩急車が上り本線から大久野駅に向けて出発、貨車Aは上り1番線に残置 ⑥ 大久野駅から戻ってきた緩急車+機関車が上り本線に到着 ⑦ 緩急車+機関車を拝島方へ引上げ、推進で上り1番線の貨車Aに緩急車を連結 ⑧ 機関車を拝島方に引上げ、下り本線 (又は上り本線?) 経由で大久野方に引上げ、転線して上り1番線の貨車A+緩急車に連結 ⑨ 機関車+貨車A+緩急車が上り1番線から大久野駅に向けて出発 ちなみに、編成分割を伴う下り貨物列車の武蔵増戸駅での停車時間 (到着から先発列車が出発するまでの時間) を比較すると、1961年 10月1日時点では5分~13分だったのに対して1968年10月1日時点では16分~30分30秒と増大しており、作業量の増加が停車時間に影 響していることがうかがえます。 以上のように武蔵増戸駅で編成を分割する貨物列車について考察してみると、先に述べたED16が緩急車だけをけん引している列車の 写真も一層味わい深いものに感じてきます。 |
2026/06/24 新規公開