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磐越東線 赤井駅


<主な変遷>  
1915(大4)年7月 平郡東線 平-小川郷間開通、赤井駅開設
1917(大6)年10月 平郡東線→磐越東線

1955 (昭30) 年 3月


<基本情報>
 貨物営業   あり
 閉そく方式  通票閉そく式
 電気運転設備 非電化
  •  石炭等の発送貨物が多い駅で、広い構内を持っています。
  •  日曹炭礦(株)の専用線は構内運転区間に指定されています *注
  •  上り遠方信号機は腕木電気式です。
*注 水戸鉄道管理局「運転取扱心得」(昭和32年6月12日 水管達甲第34号) 1957年8月1日施行.第54条別表

1963 (昭38) 年 4月


 
  •  品川白煉瓦(株)の専用線はなくなりました。また、1963(昭38)年現在の「専用線一覧」には佐藤木材(株)の専用線が掲載されていますが、図では分かりません。
  •  日曹赤井炭鉱は1960(昭35)年10月に閉山しています。1964(昭39)年、1967(昭42)年及び1970(昭45)年の「専用線一覧」には引き続き日曹の専用線が掲載されているものの、「使用休止」と表示されています。
  •  駅裏の線路群は客車の留置にも使用されていたようです(「Memo」参照)。
  •  通過信号機が設置されたほか、上り遠方信号機は色灯式になりました。

1976 (昭51) 年 4月

  •  貨物営業は1972年10月に廃止されました。駅裏の線路群がごっそり消えてかなりスリムな配線になりました。

1984 (昭59) 年 2月

  •  下り1番線が側線になりました。

 Memo

 平-赤井間の区間列車

 昭和30年代から40年代にかけて、平-赤井の1駅間だけ走る旅客列車が設定されていました。1958(昭33)年10月号の時刻表には掲載がなく、1959(昭34)年3月号には掲載があるので、この頃誕生したものと思われます。当初は赤井発平行が朝に1本だけ設定されていましたが、1961(昭36)年10月1日改正では夜の平発赤井行が加わり、上下1本ずつの設定となりました。
 その1961年10月1日改正の水戸鉄道管理局列車列車ダイヤを下に示しますが、赤○で囲ったのが当該区間列車です。夜、[客]737レが赤井に到着するとけん引機は客車を置いて[単]4730レで平に戻り、朝は[単]4733レが平から赤井へ客車を迎えに行って[客]734レをけん引するようです。

 
 注目したいのはオレンジの○で囲った列車で、上記の営業列車のほかに平-赤井間の区間列車があったことが読み取れます。夜は[回客]6741レとそのけん引機とみられる[単]4742レ、朝は[回客]6732レでペアとなる赤井行の単行機関車は見当たりませんが、小川郷行の[単]4731レが赤井で数分間停車するように描かれているので、恐らく平を機関車2両で出発して赤井で1両解放するのだと思います。
 このように、赤井駅では夜間に2編成の客車が留置されていたわけですが、1961年度には平駅の気動車収容能力の問題から常磐線草野駅の下り1番線を気動車の収容給油線に改良する工事が行なわれている *注 ことを踏まえると、この客車留置も平駅の客留線不足への対応として構内に余裕のある赤井駅が活用されたものと推定します。
 ちなみに朝の赤井始発列車と近接する時間帯に小川郷始発列車も設定されていましたが、1968(昭43)年10月1日改正で両列車の時刻が更に接近して、赤井駅では5:12に小川郷始発の2740Dが出発した9分後の5:21に赤井始発の742レが出発するダイヤになりました。早朝に立て続けで2本の列車を必要とするほど旅客需要があったとは考え難く、営業していた赤井終着・始発列車も客車回送が主目的で旅客輸送はついでだったのかもしれません。
*注 国鉄関東支社「昭和36年度 鉄道統計年報(管理局編)」285頁

 その後、1969(昭44)年10月1日改正では夜の列車が客車から気動車に置き換えられるとともに、赤井到着後は折返し平行(営業列車)となって下り1本・上り2本の体制になりました。
 しかしこれも束の間、翌1970(昭45)年10月1日改正では夜の1往復が廃止され、1972(昭47)年3月15日改正では残っていた朝の上り1本も廃止となって僅か1駅間を走る区間列車は姿を消しました。