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磐越東線 江田信号所→江田信号場


<主な変遷>  
1917(大6)年10月 磐越東線小川郷-小野新町間開通、江田信号所開設
1922(大11)年4月 江田信号所→江田信号場
1933(昭8)年11月 江田信号場廃止
1963(昭38)年7月 江田信号場開設
1984(昭59)年12月 江田信号場廃止
1987(昭62)年4月 江田駅開設

1917 (大6) 年 10月



<基本情報>
 保安方式   閉塞式 (「タブレット式」閉塞器)
 電気運転設備 非電化
  •  路線開通時に設置された初代の江田信号所です。1933(昭8)年11月に廃止されるまで16年間存在しました。
  •  郡山方に向かって上りこう配が続く区間に設置された信号所で、1963(昭38)年開設の2代目江田信号場と同様に急こう配の本線から水平あるいは緩こう配の線路(A線)が分岐した配線です。
  •  いわき市webサイト内の「いわきの『今むがし』vol.58」(以下『今むがし』という。)では信号所の設置理由について、「小川郷と川前の駅間が長いことが理由で、特に平から川前へ向かう場合、上り坂が続き、機関車の故障や不慮の事故に備える必要があり、信号場施設が設けられたもので、併せて待避線も設けられました」との説明があります。
  •  1919(大8)年10月1日から1933(昭8)年7月1日までの10の時点の列車ダイヤを見ても江田で行違いをする列車はなく、『今むがし』の記述を踏まえるとA線は臨時的に使用する線路ではないかと想像します。
  •  連動表の下に書かれた注記から、タブレット閉塞器と転てつ器との間に連鎖関係を持たせた機構になっていたことが分かります。
  •   図には描かれていませんが、本屋の前にホームがありました。15m程の短いホームで *、『今むがし』に掲載の開設当時の写真でも確認できます。
*注 [D] 「磐越東線建設工事概要」『帝国鉄道協会会報』第18巻第12号.1917年12月.帝国鉄道協会.1071頁によると乗降場の長さは50.0フィートとなっている。

1981 (昭56) 年 6月


 
<基本情報>
 閉そく方式  通票閉そく式
 電気運転設備 非電化
  •  大越駅付近に建設された磐城セメント(株)田村工場の操業開始に合わせて貨物列車を増発することに伴い、1963(昭38)年7月に江田信号場が再設置されました。 1917(大6)年の図とは方向が逆になっていますが初代江田信号場と同様の線路配置です。1978(昭53)年当時の写真を見ると折返線のほかにもう1本、横取り用らしき線路が折返線に平行してありましたが、図には描かれていません。
  •  信号場がなかった1948(昭23)年には仮乗降場が設置され、信号場となった後も引き続き旅客乗降を取り扱っていました。こう配上に設けられたホームは初代信号場より長く100mあります。 いちおうスイッチバック駅ですが、15.2‰のこう配上に停車するのが基本である点が異質です。
  •  行違いをする場合は上り列車を折返線に入れます。 トラブルでもない限り、下り列車が折返線に進入することはありません。

 Memo

Ⅰ 江田信号所~江田信号場~江田駅の沿革

 『今むがし』及び『停車場変遷大事典』等を基に整理した江田の沿革です。
 なお、『停車場変遷大事典』によると「江田」の読みは現在に至るまでずっと「えだ」ですが、『今むがし』に掲載の昭和30年代の駅名標の写真では「えた ETA」となっています。
1917(大6)/10/10  小川郷-川前間開通と同時に江田信号所開設
1922(大11)/04/01  信号所を信号場に変更
 1923(大12)/12  上小川村議会において、駅昇格を視野に信号場付近の土地2,000坪を鉄道省に寄付することを決議
  →駅とするにはスイッチバック式にしなければならず、鉄道省の試算で30万円の経費が掛かる
   ことから駅昇格は進捗せず
 1930(昭5)~  紅葉シーズンに限り臨時停車
 1934(昭9)年秋には4,000人の人出・高萩-川前間に臨時列車運転 
 1933(昭8)/11/16  江田信号場廃止
 戦時中  紅葉シーズンの臨時停車中止
 1948(昭23)/10/01  終戦後に駅昇格運動が再燃、1948年に一部の列車が旅客の乗降を取り扱う仮乗降場を設置
 1961(昭36)/10  行楽客のために江田-川前間の夏井川渓谷に近い牛小川地内に臨時乗降場を開設
 乗降場は車両の乗降口に梯子を当てただけのもので、駅員を配置
 1963(昭38)/07/15  信号場設置、引き続き旅客の乗降を取り扱う
 1967(昭42)  全ての普通列車が停車 ※1966(昭41)年10月1日改正時点では普通列車のうち下り1本が通過
 1974(昭49)  いわき市議会において、駅昇格について関係機関に意見書を提出することを採択
 1978(昭53)  ”準駅”の扱いで、通勤・通学定期券に限り江田信号場起算の運賃で計算して発売
 1984/(昭59)12/01?  信号場廃止→仮乗降場
 1987(昭62)/04/01  駅に昇格


Ⅱ 2代目江田信号場に関係する特殊取扱い

 下に示す達は仙台鉄道管理局が1965(昭40)年に制定したものです。初代信号場の時代よりも保安度を向上させて閉そく機と信号機の取扱いにも連鎖関係を持たせています。
 ちなみに第27条第2号イの「客車列車」は客車列車に限らず、江田信号場で客扱いをする気動車列車も同様の取扱いだったのではないかと推測しますがどうでしょう? 規程が制定された1965年当時の普通列車は全て客車列車 * だったのでこの表現になったと想像するのですが。
*注 この区間を走る普通列車に気動車が導入されたのは1966(昭41)年10月1日改正から。
 

 「仙台鉄道管理局列車運転特殊取扱基準規程」
(昭和40年4月10日 仙局達第21号) .1984年8月1日現在 抄

 第4章 磐越東線における取扱方
 (閉そく装置及び信号装置の機能等)
 第24条 小川郷・川前間における通票閉そく機及び信号機等は、次の装置を備えたものとする。
   (1) 小川郷駅及び川前駅から同時に通票を取り出す場合は、江田信号場第5号転てつ器が反位のときに限る。
   (2) 江田信号場折返線内に列車があるときは、川前駅通票閉そく機から通票を取出すことはできない。
   (3) 江田信号場下り場内信号機は川前方、上り主本線に対する第2場内信号機は、小川郷方の通票閉そく機下部引手を全開としな
     ければ進行信号を現示しない。
   (4) 小川郷駅下り出発信号機及び川前駅上り出発信号機は、それぞれ江田方通票閉そく機下部引手を全開としなければ進行信号を
     現示しない。
 (場内信号機の取扱い)
 第25条 江田信号場における上り主本線に対する第2場内信号機及び下り場内信号機は、出発信号機を兼ねるものとし、次の閉そく
  区間に対する閉そくを完了したのちでなければ、これに進行信号を現示してはならない。
 (列車停止位置の指定)
 第26条 江田信号場において、停止することに定められている列車の停止位置は、その列車に対する乗降場終端を目標として建植す
  る列車停止目標の位置とする。
 (列車着発取扱い)
 第27条 江田信号場における列車の着発取扱方は、次の各号によらなければならない。
   (1) 上り列車は、指定されたとき及び運転整理で行違い変更になったときのほか、折返線の着発は行わないこと。
   (2) 前号により、折返線に進入した列車の出発取扱いは、次によること。
     ア 折返線に進入した列車を折返線から出発させるときは、川前駅及び小川郷駅に対し、閉そくの承認を与えないときに限るこ
     と。
     イ 客車列車で、江田信号場停止に指定されている列車は、第1出発信号機の進行を指示する信号により、運転を開始し、第2
     出発信号機の進行信号によって、前条に定める指定列車停止目標の位置まで進行して停止したのち、駅長の出発合図又は出発
     指示合図により出発すること。
     ウ 前号以外の列車は、第1出発信号機の進行を指示する信号により運転を開始し、第2出発信号機の進行信号を確認のうえ、
     駅長の出発合図により出発すること。
 (通票の受授)
 第28条 江田信号場に着発する列車の通票の受授は、折返線より進出する列車、停車列車及び通過すべき列車を臨時に停止させたと
  きを除き、すべて受柱又は授柱を使用するものとする。
  2 折返線から進出する列車に対する通票は、第2出発信号機の位置において駅長が交付するものとする。ただし、前条第2号イの客
   車列車については、乗降場において交付する。
 (通票折返し使用の禁止)
 第29条 小川郷駅及び川前駅における江田方並びに江田信号場においては、通票の折返し使用を禁止する。
 (列車を臨時に停止させるときの取扱い)
 第30条 江田信号場において、通過すべき列車を臨時に停止させるときは、も寄停車場駅長を介して機関士に予告したのち、次によ
  り取扱わなければならない。
   (1) 駅長は通過すべき列車を通過させるときの信号機の取扱いを行ったのち第47条に定める位置に停止手信号を現示すること。
    ※管理人追記・「第47条」は「第26条」の誤りか?
   (2) 前号により停止させた列車を出発させるとき駅長は、列車の前方に進行手信号を現示すること。
   (3) 機関士は、第1号により停止し、第2号の進行手信号の現示により出発すること。
  2 前項の規定による場合で、機関士に予告のいとまのないときは、次により取り扱うものとする。
   (1) 下り列車は、場内信号機、上り列車は第2場内信号機の停止信号により、いったん停止させたうえ、その位置で必要な通告、通
    票の受授等を行ったのち、場内信号機に進行信号を現示すること。この場合、上り第1場内信号機は、手信号によるものとする。
   (2) 機関士は、前号により停止したときは、場内信号機の停止信号により停止したときの取扱いにより出発すること。
 (閉そく方式変更の取扱い)
 第31条 故障その他の事由により、小川郷・川前間において、常用の閉そく方式によれないときは、次の各号の取り扱いによらなけ
  ればならない。
   (1) 列車が小川郷又は川前駅出発前に小川郷、江田、川前いずれかの停車場間で、閉そく方式を変更する必要の生じたときは、小
    川郷・川前間を1閉そく区間として、閉そく方式を変更し、折返線の使用を停止すること。
   (2) 列車が江田信号場出発のさい、閉そく方式の変更を必要とするときは、その列車に限り江田・小川郷間又は江田・川前間閉そく
    方式を変更し、その列車が小川郷駅又は川前駅到着後、その閉そく方式を廃止し、新たに打合わせて前号によること。
  2 前項第2号の規定により、江田信号場から閉そく方式を変更するとき、閉そく区間開通の確認及び閉そく方式変更打ち合わせの
   ための適任者を派遣するため、江田信号場から単行機関車を出発させてはならない。ただし、機関車を2両以上使用しているとき
   及び気動車の全編成を空車として使用するときを除く。


 Ⅲ 江田信号場の改良計画と列車の行違い

 『鉄道ピクトリアル』1965年10月号に仙台鉄道管理局の運転部長だった久保田博氏が執筆された磐越東線の記事があり、今後の計画として江田信号場の改良を挙げています。当時の江田信号場は「行違い設備のない不完全なもの」だったとのことですが、この記事に掲載されている1965(昭40)年10月1日改正の列車ダイヤ *注1 では江田信号場で行違いをする列車があり、1964(昭39)年12月撮影の写真 *注2 でも折返線が存在していたことを確認できることから全く行き違いができなかったわけではなく、不可解な記述となっています。
 この点、「Memo Ⅱ」に示した規定からすれば折返線の使用は限定的だったことがうかがえ、特殊取扱いを必要としない形態、すなわちこう配上に行違い設備を新設して一般的な取扱いができるように改良するという趣旨だったと理解しています。
*注1 記事ではいつの時点の列車ダイヤであるかは示されていないものの、磐越東線では1965(昭40)年10月1日改正で列車番号が大幅に変わっているところ掲載の列車
   ダイヤは改正後の列車番号であり、雑誌の発行時期からして同改正の列車ダイヤであることは間違いない。

*注2 江田地区の方が運営する「アカヤシオの里公認サイト」に掲載の江田駅のフォトアルバムより。

久保田博「東北ローカル線シリーズ⑩ セメント輸送の磐越東線」『鉄道ピクトリアル』1965年10月号.72頁より引用

 3. 今後の計画
  まず前述の如く、客車列車よりも重い機関車を使用している非能率な運転を一刻も早く解消すべきである。目下の計画では41年度よ
 り順次ディーゼル動車化され、42年度中には完了の見込みである。
  このディーゼル動車化と併行して進めねばならないのが準急増発及び貨物輸送の増強のための江田信号所の改良である。現状の江田信
 号所は行違い設備のない不完全なもののため、小川郷-川前間が列車設定の癌となっている。また、江田信号所は20‰のこう配上にあ
 るため、行き違い設備の新設は仲々難工事であるが、種々研究した結果、現在の線形のままで15‰こう配、有効長400mの行き違い線
 ができる見通しで、将来の列車増発に対応して、42年度頃までに改良を進めることにしている。
  -後略-


 また、信号場が「20‰のこう配上にある」という点を補足すると、1981(昭56)年の配線略図では信号場構内のこう配は20‰~15.2‰~20‰となっており、これは路線が開通した1917(大6)年当時の「線路縦断面図」でも同じ *注3 です(後年こう配改良工事が行われて15.2‰の部分ができたわけではありません)。この15.2‰の区間はホーム部分の100mに当たりますが、記事の計画はこれを400mにして行違い設備を造るものだったと受け取れます。
 ちなみに折返線は1967(昭42)年に延長工事が行われており *注4 、それ以前はもっと短かったようです。記事の計画は実らなかったものの、若干の改良が行われたということでしょうか。
*注3 当時のこう配の表記法では、1/50~1/66~1/50。パーミルの表記に直すと、50分の1のこう配は20‰、66分の1のこう配は15.2‰となる。
*注4 江上英樹・栗原景 編著『スイッチバック大全』2024年8月.誠文堂新光社.77頁

 続いて、実際に江田信号場で列車の行違いがどのくらい行われていたのかをみていきます。
 下表は2代目江田信号場が存在していた期間のうち10の時点での行違いの回数を整理したものですが、行違いをする列車は極めて少なかったことが分かります。また、折返線に入って待合せをするのは必ず上り列車となりますが、そのほとんどが単行機関車列車だったことも目をひきます。
 ちなみに旅客列車が行違いをするケースは今回確認した列車ダイヤにはありませんでしたが、臨時列車では1967(昭42)年秋に運転された川前発水戸行9730D「夏井」が以下のような時刻で運転されていました(下線部の時刻は推定)。
  [臨気]9730D 川前発16:04、江田着16:14/発16:23、小川郷着16:33/発16:34
                 ※江田16:22通過又は臨時停車の[急気]511Dと行違い
 
 

 以上、久保田氏の記事の内容や行違いをする列車がほとんど設定されていなかった状況からすると、続行列車の間隔を詰めるために閉そく区間を分割することを主眼として信号場を設置したように思えてきます。下に示すのは1979(昭54)年10月1日現在の列車ダイヤ *注5 で、先行列車が小川郷駅に到着する前に続行列車が川前駅を出発する上り列車や、先行列車が川前駅に到着する前に続行列車が小川郷駅を出発する下り列車が複数設定されています(オレンジの線で示した部分)。このような列車設定を可能とするところが江田信号場の真骨頂ではないかと感じる次第です。
*注5 仙台鉄道管理局《昭和53年10月1日改正 昭和54年10月1日訂補 2分目列車ダイヤ》
 
 参考として、1966(昭41)年、1979(昭54)年、1984(昭59)年の江田信号場の列車着発状況を整理した表を掲げます(リンク先のファイルを参照)。1984年2月1日改正では江田信号場の廃止を前提としているのか、信号場がなくても続行列車の運転に支障がない列車設定となっており、737Dが小川郷駅で5分停車(16:25着、16:30発)としているのは先行する3735Dが川前駅を通過する(16:26 45)のを待っているように見受けられます。

  1966(昭41)年10月1日改正
  1979(昭54)年10月1日現在
  1984(昭59)年2月1日改正

 Ⅳ 蒸気機関車とこう配上の停車

 蒸気機関車の時代、登坂する下り列車が15.2‰のこう配上で発車するのに支障はなかったのでしょうか。
 この件に関して直接的な資料は見付けていませんが、上記「Memo Ⅲ」の『鉄道ピクトリアル』記事にはD60が活躍していた当時の旅客列車の運転についても以下の記述があります。少なくともD60がけん引していた時代 *注1 は多少余力があったのかなという印象ですが、どうでしょう?
*注1 椎橋俊之 編著『蒸気機関車機関区総覧-東日本編- 』2022年5月.イカロス出版.206頁によると、郡山機関区へのD60の配置は1956(昭31)年3月から 。

久保田博「東北ローカル線シリーズ⑩ セメント輸送の磐越東線」『鉄道ピクトリアル』1965年10月号.71~72頁より引用
 
 「客車列車は大部分が3両または4両編成で、客車よりもけん引機関車の重量の方が重いという極めて非効率な運転を行なっている。」

 「D60形式蒸機のけん引する3両編成の客車列車は、平を出て間もなくトンネルに入り、トンネルを抜けると夏井川と好間川の合流する
 広い平野に出る。一面の水田地帯をD60は軽い列車のため単機回送の如きカットオフ20%以下で快走して、15分位いで小川郷に着く。
 小川郷を出ると磐越東線最大の難所の連続こう配を上る。-中略- 小川郷-川前間は殆んど連続こう配の16kmであって、貨物列車は
 40分を要するが、D60けん引の軽荷重のため時速40kmの高速を維持して25分足らずで川前につく」


 ちなみにD60けん引時代、江田信号場に停車する下り列車のうち夕方の1本は準混合列車、すなわち貨物列車に客車を連結した列車でした。この列車について、1967(昭42)年当時郡山機関区の機関車乗務員だった方は重いわりに貨物列車よりも速い速度設定で運転に苦労した旨述べています *注2 。お話は小川郷で3両の客車のうち2両を解放して身軽になってこう配に挑んだ、というところで終わっているので江田信号場の件は触れられていませんが、この列車についてはこう配上で発車するのに難儀だったのではないかと想像します。
*注2 椎橋俊之『「SL甲組」の肖像 2』2007年11月.ネコ・パブリッシング.122~123頁