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高徳本線 勝瑞駅

<主な変遷>
1916(大5)年7月 阿波電気軌道 撫養-古川間開通、勝瑞停留場開設
1926(大15)年5月 阿波電気軌道→阿波鉄道
1933(昭8)年7月 阿波鉄道国有化→阿波線、勝瑞停留場→勝瑞駅
1935(昭10)年3月 阿波線→高徳本線

昭和 50 年代


<基本情報>

 所   管  四国総局
 貨 物 営 業  あり(専用線発着車扱貨物に限る)
 閉そく方式  自動閉そく式(特殊)
 遠隔制御装置 CTC
  •  図の作成年代は不詳ですが高徳本線栗林-吉成間が通票閉そく式から自動閉そく式 (特殊) に変わった1977(昭52)年3月以降のものになります。
  •  小さな駅ですが少し変わった配線で、両方向の列車が着発できる本線が2本あるものの、ホームは主本線にしかないので旅客扱いを行う列車同士の行違いはできません。また、ホームは本屋に面していないので線路を渡って行き来する必要があります。
  •  図の右上に長く延びている線路は東邦レーヨン(株) 徳島工場の専用線です。本屋脇にも専用者名の書かれていない専用線がありますが、1975(昭50)年版及び1983(昭58)年版の「専用線一覧」の内容を踏まえると、国鉄側線を使用した東亜合成化学工業(株)の専用線のようです。
  •  1980(昭55)年10月1日改正時点では、以下のとおり各方向2本ずつ停車していた貨物列車が2番線着発でした。
   下り [普貨B] 363レ  9:14 00着、9:20 15
      [普貨B] 365レ 14:33 00着、14:46 30
   上り [普貨B] 362レ 14:54 00着、15:06 30発 (14:58 30通過の[急気] 312Dを待避)
      [普貨B] 366レ 19:49 30着、20:02 00

Memo

東邦レーヨン(株)の専用線と勝瑞駅の移転

1 東邦レーヨン専用線の沿革
  1935(昭10)年12月に操業を開始した東邦人造繊維(株)徳島工場 *注1 では、船舶又は貨車を利用して製品等の輸送を行っていました
 が、貨車輸送については工場最寄りの勝瑞駅で貸切扱貨物 (後年の車扱貨物に相当) を取り扱っていなかったため、荷馬車で吉成駅へ搬
 出して貨車に積み込む手間を掛けていました。この不便を解消するため、会社では1936(昭11)年9月に広島鉄道局に対して専用線設置
 を請願し、1941(昭16)年に許可されたものの会社では資材を入手することが困難だったために計画を中止しています *注2
  戦後、1948(昭23)年に至り鉄鋼類のの入手が多少容易になったことを受け、改めて勝瑞駅を起点とする専用線敷設計画を立て1949
 (昭24)年に着工、翌1950(昭25)年1月に使用開始となりました *注3 。ちなみに勝瑞駅では1949年12月19日に営業範囲が改正されて専
 用線発着車扱貨物の取扱いを開始しています。

 *注1 徳島工場が所属する会社はその後、1940(昭15)年6月 日本油脂(株) →1945(昭20)年2月 帝国繊維(株) →1950(昭25)年7月 東邦レーヨン(株)と遷移する。
 *注2 [D] 東邦レーヨン株式会社二十五年史編集委員会 編『東邦レーヨン二十五年史』1959年12月.東邦レーヨン株式会社.66頁~67頁・124頁。なお、このほかに
    1939(昭14)年には地元の住吉村から鉄道大臣に対して勝瑞駅移転及び貨車取扱いの請願書が提出されているが戦時下のため実現していない。

 *注3 [D] 『東邦レーヨン二十五年史』186頁。なお、この時使用開始したのは側線900mと貨物積卸用ホーム (57坪) で、翌年には工場岸壁までを結ぶ400mの側線
    を完成させている。


2 勝瑞駅の移転
  勝瑞駅は1957(昭32)年3月20日に現在地に移転しており、その前は現駅高松方の踏切を挟んで道路の反対側にありました。
  移転の状況を、1947(昭22)年と1961(昭36)年撮影の空中写真で確認してみましょう。


【出典】国土地理院webサイト「地図・空中写真閲覧サービス」https://service.gsi.go.jp/map-photos/
 整理番号:USA コース番号:R519-1 写真番号:55 撮影年月日:1947(昭22)/10/11 ※一部加工

駅部分拡大


   移転前の勝瑞駅はホーム1本で、本屋は徳島に向かって右側にありました。側線が1本あるように見えなくもないですが、はっきり
 しません。先に触れたように、この時点では専用線はまだ敷設されていません。


【出典】国土地理院webサイト「地図・空中写真閲覧サービス」https://service.gsi.go.jp/map-photos/
 整理番号:MSI611 コース番号:C9 写真番号:9 撮影年月日:1961(昭36)/05/22 ※一部加工

駅部分拡大


  駅移転から4年たった時期の空中写真です。
  踏切を挟んで道路の反対側に新しい駅が造られ、本屋は徳島に向かって左側に変わりました。移転前と同じくホームは1本ですが線路
 が増えて移転前より広い構内となったことが分かります(旧駅も移転前の時点で1947(昭22)年当時よりは若干構内が広くなっていたよ
 うに見えます)。
  この移転については [D] 『徳島年鑑 一九五八年 昭和三十三年版』に記述があるので、以下に引用します。

  [D] 「鉄道/勝瑞駅新築移転」『徳島年鑑 一九五八年 昭和三十三年版』1958年5月.徳島新聞出版部.251頁より引用

  勝瑞駅新築移転
   高徳線勝瑞駅は新築中のところ三月二十日より店開きした。同駅は貨物取扱量は県下一、乗降客もベスト・テンに入るが、
  駅舎がせまいうえ、ホームが国道で中断され不便であったため工費約一千万円で移転新築した。 


  これによると駅移転の一因として貨物取扱量が多かったことが挙げられ、専用線敷設によって駅が手狭になったことがうかがえます。
 文中の「ホームが国道で中断され」は意味を捉えかねますが、もしかしたら専用線の貨車のやり取りで踏切をまたいで入換をしていたの
 かな、と想像します。この辺は専用線敷設から駅移転までの間の配線がどうなっていたのか全く分からないのであくまで妄想ですが…。
  参考までに、専用線発着貨物の取扱いが開始された1949(昭24)年度から駅移転翌年度の1957(昭32)年度までの間の勝瑞駅における
 車扱貨物の取扱量を《鉄道統計》の「各駅貨物発着通過トン数表」で確認した結果が下表で、年々増加していったことが分かります。
  なお、文中の「同駅は貨物取扱量は県下一」は話が盛られていて、徳島県下で一番の貨物取扱量だったのは徳島駅でした。

 

  ちなみに四国鉄道管理局「運転取扱細則」(昭和34年3月 四達甲第21号).1959年5月1日施行.によると、当時は池谷-吉成間が1閉そ
 く区間でしたので、上に掲載した配線略図の2番線 (上下待避線) は駅移転時から本線だったわけではなく、当初は側線だったことがう
 かがえます。