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室蘭本線 追分駅
夕張線→石勝線


<主な変遷>
1892(明25)年8月 北海道炭礦鉄道 室蘭-岩見沢間開通、追分駅開設
1892(明25)年11月 北海道炭礦鉄道 追分-夕張間開通
1906(明39)年10月 北海道炭礦鉄道国有化(→1909(明42)年10月 室蘭本線、夕張線と命名)
1981(昭56)年10月 夕張線→石勝線、石勝線千歳空港-追分間開通

1954 (昭29) 年 4月

<基本情報>
 貨物営業   あり
 閉そく方式  長万部方・岩見沢方:双信閉そく式、夕張方:通票閉そく式
 電気運転設備 非電化
  •  室蘭本線東部における拠点駅で追分機関区や苫小牧客貨車区追分客貨車支区が置かれ、夕張線の分岐駅でもあることから堂々たる規模となっています。
  •  室蘭本線は下りと上りがはっきりと区別され、下りは5・6・7番線、上りは2・3・4番線に着発可能な配線です。両方向共に副本線を2本備えおり、複数の貨物列車が長時間停車するのに対応しています。
  •  夕張線は1番線が主本線で、1・5・6・7番線から出発、1・2番線に到着が可能となっています。
  •  1954(昭29)年5月1日改正時点における列車着発状況は以下のリンク先ファイルを参照してください。
   追分駅列車着発状況 1954(昭29)年5月1日改正
   ・ 石炭輸送が盛んで、夕張、幾春別、美唄、砂川、赤平、芦別といった産炭地と室蘭を結ぶ石炭列車が運転されています。追分駅には
    全ての列車が停車します。
   ・ ほとんどの貨物列車は30分以上停車し、同一方向の貨物列車が同時に2本以上停車している時間帯も結構あります。

1967 (昭42) 年 12月

<基本情報の変更>
 閉そく方式  長万部方・岩見沢方:自動閉そく式
  •  貨物輸送の組成駅に係る資料のため、信号機の記載はありません。線路の配置は1954(昭29)年の図とほぼ同じです。
  •  この当時、追分駅は支社指定組成駅で、1966(昭41)年度における取扱能力は1,000車/日、扱車数は800車/日(発着84、中継716)でした。
  •  1961(昭36)年1月14日から苗穂機関区配置の気動車によって札幌-追分-夕張間に気動車列車が運転されるようになりましたが、追分で気動車が滞泊するため客留線に油庫、給油装置、給水装置等を設備し、客貨車支区で気動車の整備を行ったそうです *注
  *注  [D] 「各局便り 札幌局 夕張線の気動車化」『車輛工学』1961年2月号.車輛工学社.63頁
  •  1969(昭44)年10月1日改正時点における列車着発状況は以下のリンク先ファイルを参照してください。
   追分駅列車着発状況 1969(昭44)年10月1日改正
   ・ 道東・道北方面と苫小牧・室蘭・道南方面を結ぶ貨物列車が増強されて一層と賑わいをみせています。下りは全ての列車が停車
    しますが、上りは4本の貨物列車が通過します。
   ・ 7本の本線をフル活用といった感じで、6本の列車が同時に在線している時間帯もあります(23:05~23:08の間)。
   ・ 夕張線と室蘭本線岩見沢方を直通する旅客列車は両方向合わせて6本設定されていますが、全て4番線着発です。

1981 (昭56) 年

<基本情報の変更>
 閉そく方式  千歳空港方、夕張方:自動閉そく式
 遠隔制御装置 全方向:CTC
  •  石勝線開通時の配線で、石勝線列車は両方向共にほとんどの本線に着発できるようになっています。本線は従来の7線に加え、下りホームの岩見沢方を切り欠きにして気動車着発線が設けられました。
  •  本屋の長万部方の側線は貨物1・2番線を残して姿を消しました。また、仕訳9番線と機関区の間にあった線路(1954(昭29)年の図の修繕1~3番線)もなくなっています。
  •  機関区の配線は省略されています。1976(昭51)年3月2日を最後に追分駅での入換作業に就いていた蒸気機関車が引退して国鉄の無煙化が達成されましたが、それから間もない同年4月13日に火災によって扇形庫が焼失してしまいました。その後、大きさを約半分に縮小して車庫を再建することとなり、1977(昭52)年5月10日に8線分の扇形庫が完成しています *注
   *注  [D] 追分町史編さん委員会 編『追分町史』 1986年8月.追分町.1029頁~1034頁
  •  1981(昭56)年10月1日改正時点における列車着発状況は以下のリンク先ファイルを参照してください。
   追分駅列車着発状況 1981(昭56)年10月1日改正
   ・ 石勝線の優等列車は基本的に1番線着発ですが、特急同士の行違いとなる関係で [特急気] 5003Dは5番線着発です。 また、1番
    線に夕張線普通列車の車両が在線しているとみられる [急客] 413レも5番線着発です。
   ・ 室蘭本線上り列車のうち [客] 228レは1番線着発です。追分終着の石勝線 [気] 632Dがまだ4番線に居座っているのでしょうか?
   ・ 新設された気動車着発線は余り活用されていません。 下り副本線である6番線に着発する上り貨物列車が散見されます。上り副本
    線である2番線や3番線を使用しないのが謎です。

Memo

Ⅰ 2つあった扇形庫

 椎橋俊之 編著『蒸気機関車機関区総覧-東日本編-』2022年5月.イカロス出版.94頁に収録の1940(昭15)年4月当時の追分機関区の配線略図によると機関区には2つの扇形庫があり、それぞれ第一車庫・第二車庫の名が付されていたことが確認できます。上に掲げた1954(昭29)年の配線略図に描かれているのは1940年当時の第二車庫に当たり、その岩見沢方に存在した第一車庫のほうは既になくなっていたことが分かります。
 1948(昭23)年撮影の空中写真では第一車庫も現役に見え、上記書籍93頁に掲載の追分機関区の機関車配置表では1949(昭24)年1月現在で38両、1955(昭30)年2月現在で24両の配置(いずれも夕張駐泊所分を除く)で大幅な減少がみられることから、この間に廃止されたものと想像しますが確証はありません。
 また、第一車庫、第二車庫の名称からすると廃止された第一車庫のほうが古くからあったという印象を受けますが、実際のところどうなのでしょうか? 車庫が2つになった時期や1921(大10)年9月の車庫再建 *注 との関係も興味のあるところです。

*注 追分機関区は1918(大7)年9月にも火災で焼失し、1921年9月に移設再建されている(『追分町史』1028頁)。


【出典】国土地理院webサイト「地図・空中写真閲覧サービス」https://service.gsi.go.jp/map-photos/

 整理番号:USA コース番号:R246 写真番号:56 撮影年月日:1948(昭23)/04/22 ※一部加工

Ⅱ 追分-三川間の線路改築

 空中写真で追分駅北方を見ると、岩見沢に至る室蘭本線の線路は石勝線の線路と共に右カーブで北東に進路をとった後、左カーブで北に向きを変えており、逆S字カーブの線形になっていることが分かります。


【出典】国土地理院webサイト「地図・空中写真閲覧サービス」https://service.gsi.go.jp/map-photos/
 整理番号:HO925X コース番号:C4 写真番号:5 撮影年月日:1992(平4)/06/28 ※一部加工

 右に左にクネクネした線形になっているのには訳がありそうですし、これを短絡する直進ルートには線路が敷かれていたような筋が通っているので過去に遡って空中写真を確認してみるとより鮮明に筋が認められ、更に戦前に測量の地形図 *注1 でもこの筋のとおり線路が描かれているので線路跡であることがハッキリしました。

*注1 5万分1地形図「追分」では、1919(大8)年測図 /1935(昭10)年修正測図 /1951(昭26)年資料修正・1951年発行の版まで旧線、1919(大8)年測量 /1953(昭28)
   年第2回修正測量・1956(昭31)年発行の版から新線で線路が描かれている。



【出典】国土地理院webサイト「地図・空中写真閲覧サービス」https://service.gsi.go.jp/map-photos/
 整理番号:USA コース番号:M1114-A 写真番号:303 撮影年月日:1948(昭23)/08/24 ※一部加工

 線路がどのように変わったのか、詳細を「線路一覧略図」で確認してみます。上は1932(昭7)年、下は1959(昭34)年調製の図で、線路縦断面図を比較すると長万部起点171kmの先から177km付近までのこう配が全く異なり、約6kmに渡って線路が改築されていることが読み取れます。

札幌鉄道局「室蘭線 日高線 宗谷線 線路一覧略図」1932(昭7)年2月調製 より抜粋


札幌鉄道管理局「線路一覧略図」1959(昭34)年2月調製 より抜粋


 図で明らかなように改築の理由はこう配の緩和で、従前は最大10‰だったこう配が改築後は最大5‰に抑えられています。空中写真で見た新線の逆S字カーブの区間は図の曲線の状況からして171kmの先から174km付近とみられ、この区間は経路を変更して在来線よりも距離を長くとることによってこう配を緩和したとみられます。一方、その先は空中写真を見ても経路を変更した形跡はないので在来線の路盤を切取り・嵩上げして対処したのではないかと思いますが、これは追分-三川間の複線化 *注2 と併せて次の手順で工事が行われたものと想像します。
 1 経路変更部分の新線(2線)と、新線との合流地点から先の増設線路(1線)を建設
 2 列車の運行を新線~増設線路に切り替えて在来線を使用停止
 3 新線との合流地点より先の在来線を改築工事
 4 上記3の完成後、複線として使用開始

*注2 [D] 『日本国有鉄道百年史 索引・便覧』1974年10月.日本国有鉄道.383頁では1944(昭19)年7月5日使用開始、 [D] 土木学会 編『土木工学の概観』1950年12月.
   日本学術振興会.332頁では1943(昭18)年11月1日竣工となっている。


 ところで、経路変更によって距離が長くなったにもかかわらず三川駅の実測キロ程は変わっていない(長万部起点 178k780m)ので、追分-三川間のどこかに距離更正点が置かれているはずです。1959(昭34)年調製の「線路一覧略図」では全編通じて距離更正の記載が省略されているので別の資料 -札幌鉄道管理局「施設要覧」に掲載の「距離更正並びに無軌道及び併用区間一覧表 昭和30年3月末現在」-に当たってみたところ、やはりありました。新線の 177k 072.90 地点を 177k 000.00 に更正する内容で位置としては改築区間の端部に該当し、線路改築の結果 72.9m 距離が延びたものとみられます。


 

 最後に、改築前の線路が蒸気機関車けん引列車にとって難路であったことがうかがえる資料を紹介して終わります。
 下に示すのは1941(昭16)年1月1日現行の札幌鉄道局「運転取扱心得細則」の抜粋で、後部補助機関車の運転中解放に係る条文です。追分-三川間では下り列車に連結の後補機を 172k 800m 付近で解放する旨規定しており、1932(昭7)年の「線路一覧略図」で位置を対照すると追分駅を出発して最初のピークである 9.1‰のこう配を登り詰めた所であることが確認できます。更に先にも10‰のこう配が待ち構えていますが、こちらはその前の下りこう配で勢いがつくので問題なく登坂できるのでしょう。後補機使用の対象としていた列車は確認できていませんが、こう配の程度からして重い貨物列車に限られていたか、あるいは、降雪期に限られていた *注3 といったことが考えられます。

*注3 札幌鉄道管理局「列車運転取扱方」にみる降雪期における補助機関車の使用例
   1950(昭25)年10月1日改正時点では、美唄駅、砂川駅及び滝川駅におけるひき出し補助のため、11月15日から4月15日までの期間に限り以下の区間で一部の列車
  に補助機関車を使用していた。

    美唄-美唄峰延間 343k 0m(上り石炭列車のうち指定した列車)
    砂川-砂川豊沼間 361k 300m(上り石炭列車のうち指定した列車)
    滝川-滝川江部乙間 372k 600m(下り貨物列車のうち指定した列車)

 札幌鉄道局「運転取扱心得細則」(昭和15年2月10日 札鉄達甲第27号).1941年1月1日現行.より抜粋
 
 


2026/04/11 新規公開
2026/05/04 更新
       ・「Memo」に掲載していた列車着発状況を各配線略図の項に移動
       ・「Memo」に「追分-三川間の線路改築」の項を追加