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京極線 脇方駅

<主な変遷>
1920(大9)年7月 京極軽便線 京極-脇方間開通、脇方駅開設
1922(大11)年9月 京極軽便線→京極線
1944(昭19)年7月 京極線→胆振線[支線]
1970(昭45)年11月 胆振線[支線] 京極-脇方間廃止

1932 (昭7) 年 7月

<基本情報>
 貨物営業   あり
 閉そく方式  通票閉塞器式
 電気運転設備 非電化
  •  京極駅から20~25‰の急こう配を登り詰めた先にある京極線の終着駅で、転車台を備えています。
  •  京極-脇方間は(株)日本製鋼所が建設し、鉄道省に寄附して開業した経緯があります *注 。倶知安鉱山で産出される鉄鉱石の積出駅で、線路終端部にはホッパーがあったようです。
  •  本線は1本で、信号機は設置されていません。
  •  配線略図の時期と多少異なりますが、1937(昭12)年9月20日現在の列車ダイヤでは混合列車4往復、不定期貨物列車1往復が設定されていました。
  *注  [D] 『北海道鉄道百年史 上巻』1976年3月.日本国有鉄道北海道総局.479頁

昭和戦前

  •  いつ調製された図なのか分かりませんが、同時に入手した京極駅等の京極線の配線略図は1932(昭7)年~1941(昭16)年のものであることから、昭和戦前のものとみて間違いないと考えます。
  •  4番線及び専用線の増設、上り入換線の延伸(倶知安方の手書きで追記されている部分。元は80mだったが76m延伸して156mになっている)、場内信号機の設置といった機能強化が図られています *注1 。なお、4番線については1932(昭7)年の図で既に用地が確保されていることが見て取れます(3番線とその上の線路との間が空いている)。
  •  終端部付近は線路が1本減り、分岐の仕方も変更されています。
  •  1948(昭23)年5月16日に脇方市街で発生した火災によって、脇方駅の本屋、車庫、官舎全戸が焼失してしまいました *注2
   *注1 倶知安鉱山を有した日鉄鉱業(株)の [D] 『四十年史』1979年11月.18頁では、同鉱山の操業状況について「第一次大戦後の経済情勢の変動によって、大正
      10年から13年まで休山し、その後は小規模操業に推移したが、満州事変後、特に昭和7年以来は山元に鉄鉱石乾燥設備を設置して鉱石品位の向上を図り、国策
      に沿って急激に拡大していった」としており、この増産に対応した機能強化だったことがうかがえる。
   *注2 [D] 京極町史編纂委員会 編『京極町史』1977年3月.京極町.493頁