| <主な変遷> | |
| 1922(大11)年7月 | 北海道鉱業鉄道 沼ノ端-生鼈間開通、上鵡川駅開設 |
| 1924(大13)年3月 | 北海道鉱業鉄道→北海道鉄道 |
| 1943(昭18)年8月 | 北海道鉄道国有化→富内線、上鵡川駅→豊城駅 |
| 1943(昭18)年11月 | 富内線 鵡川-豊城間開通、沼ノ端-豊城間休止 |
| 1986(昭61)年11月 | 富内線 鵡川-日高町間廃止、豊城駅廃止 |
| <基本情報> 貨物営業 あり 閉そく方式 票券閉そく式 |
|
![]() |
<基本情報の変更> 貨物営業 なし 閉そく方式 通票閉そく式 |
|
| 1954(昭29)年の配線略図のように線路に並行してホームを2面配置した形態は、当時の富内線の駅に多くみられます。このようなホーム配置にした理由として混合列車の客車の連結位置が関係しているのではないかと考え、その組成を確認したところ、1950(昭25)年10月1日改正時点では以下の資料のとおりでした。 札幌鉄道管理局・青函鉄道管理局「昭和二十五年十月一日改正 列車運転取扱方」より抜粋 ![]() また、上の資料と時期は異なりますが、1954(昭29)年5月1日改正時点の混合列車の客車は1両又は2両だったことを確認しています。 札幌鉄道管理局「昭和29年5月改正 客車運用表」より抜粋 ![]() 貨車の両数は分かりませんが、1954年の配線略図のコメントで触れたように結構な両数になるときもあったとすると、編成後部の客車の連結位置は下り列車と上り列車で相当離れることになり、それぞれの停車位置に合わせてホームを用意する必要があったのではないか、というのが私の推測なんですが、実際はどうだったのでしょう? 混合列車が停車した際のイメージ図(貨車の両数はテキトーです) ![]() |
2026/05/09 新規公開
2026/05/10 更新
・1954(昭29)年配線略図のコメントを書き換え
・「Memo」の記事を新規作成